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  台湾週報2151号(2004.7.15) - 台北駐日経済文化代表処 Taipei Economic and Cultural Representative Office in Japan :::
主要ニュース
:::


台湾週報2151号(2004.7.15)

許世楷・新駐日代表が着任
憲法・安全保障・文化の三つの任務

 許世楷・新駐日代表は7月5日、外交部で就任宣誓式を行い、同日午後、桃園国際空港より成田空港に到着した。宣誓式において、陳唐山・外交部長は、7月7日が許代表の誕生日で満70歳を迎えることから、「人生七十にして始まる、老いてなお有為、志は千里に有り」の言葉を贈った。許代表は翌6日、代表処で就任記者会見を行い、憲法改正・安全保障・文化交流の三点を駐日代表としての自らの任務であると明示した。

許世楷代表記者会見談話

 すでに駐日代表を拝命して以来、いろいろな場でご挨拶を申し上げてまいりましたが、今日は特に重ねて申し上げてきました三点について述べたいと思います。つまり、私が日本に参りまして、おそらく私の任務の重点になろうかと思われますことを申し上げます。

●憲政改造への任務 

 第一点は、新憲法についてです。皆様ご承知のように、陳水扁総統は選挙の時から常に台湾の新しい憲法を創ると申しておりました。就任式の時にも「憲政改造」という表現でそのことを改めて話しておりました。実は台湾におきましては、民間でも新しい憲法を創ろうという声が高まってきております。実際に私はこの駐日代表を引き受ける以前においては、在野の立場において、また政党関係の人々と一緒に台湾の新憲法について検討を重ね、何回も準備会を開いてまいりました。最近のことですが、台北の円山ホテルで憲法改正の発起大会が開かれ、李登輝前総統がこれの総召集人に選ばれました。実は私もこの活動を発起人の一人として台湾で展開すべきだったのですが、その少し前に陳水扁総統に呼ばれ、駐日代表への就任を依頼されました。そこで私は、引き受ける前にお聞きしたいことがあると総統に申し上げ、新憲法についての話をいたしました。 

 つまり、新憲法制定に関して自分はこれまでにも推進してきたのであり、もし引き受けて海外に出るとすれば、このことも大事な仕事として考えてよろしいでしょうかと申し上げたのでございます。というのは、新憲法問題には三つの不確定要素があるからです。 

 その一つは、台湾の民意です。つまり民意がどこまで高まるかということです。たとえば、今回の総統選挙の時のように非常にきわどい差であった場合、新しい憲法を創るなどということは非常に難しいのではないかと思われます。台湾のアイデンティティーを五〇%から六〇%、七〇%、八〇%くらいにまで高めていかないと、本当に理想的な憲法は創れないと思います。要するに、憲法改正には民意というものが基本になるということです。

 要素の二つ目は、皆様ご承知のように国際関係において台湾は非常に不安定な国だという点であります。つまり台湾の憲法改正には、各国の動向というものが非常に大事なものとなり、それが重要な要素になるということです。

 昨年末に総統選挙と同時に公民(国民)投票を実施すると発表して以来、米国さらに日本からいろいろと反応があり、それによって公民投票実施に対する台湾での民意がかなり低くなり、実施はしましたが成立しなかったという経緯があります。こうしたことから、新しい憲法を創るということにおきましては、各国の動向というものがきわめて重要と言うことができます。そうだとすれば、駐日代表として、日本政府ならびに日本の民意に、台湾の憲法改正がどれだけ受け入れてもらえるか、それを考慮しながら啓蒙活動を促進することが、私の日本での重要な仕事の一つと考えた次第であります。さらに、もし反対があればいかにして説得し、それらを賛成意見に変えていくかということも大事だと思っております。

 私の仕事は日本が対象となっておりますが、台湾のすべての外交使節というものが、これを重要な仕事の一つとすべきだと私は思っております。そうだとすれば、私が日本に赴任するということは、これまで行ってきた新しい憲法を創るということにおいて、場所を変えた、いわば戦場を変えたということになります。すなわち台湾国内において民意を高めるという戦いから、日本の皆様にこの件を訴えていく。それによってまた、台湾の民意を高めていくというように、活動範囲が変わったものと解釈しております。

 そして要素の三つ目は、すなわち陳水扁総統の決意です。 私はこの憲法改正問題を駐日代表としての任務としたい旨を、陳水扁総統に申し上げると、総統はそれでよいと言ってくれました。これによって私は、駐日代表の任をお引き受けした次第です。

●日米台の連携を強化

 仕事の第二点は、台湾の存在についてであります。台湾にとっては、この存在するということが、非常に重要な要素になっていると言わねばなりません。たとえば、地理的にも小さく、経済的にもそう豊かでないない国であっても、その国が破産したとしても、また何かが発生したとしても、国だけは残ります。イラクの問題を見ましても、国そのものは残っております。台湾の場合は、そうでない場合もあり得るのです。台湾にとっては、国家の存在というものが非常に重要な要素になっているのです。したがって、われわれから見れば、生き残っていくということが、きわめて重要な外交の目的となっているのです。このことが台湾の場合、外交に携わる者にとって非常に重要な任務になっているものと私は考えております。

 この点を日本に来て考えた場合、日本と米国の間には、日米安保条約というものがあり、そのなかに台湾海峡も防衛範囲の一つに含まれており、これが台湾にとって重要な要素の一つとなっていることが分かります。さらに台湾と米国の間には、米国の国内法ではありますが、台湾関係法というのがあります。米国の国内法とはいえ、一九九六年に中国が台湾にミサイル演習を仕掛けた時、米国はこの法律によって空母艦隊を台湾水域に派遣し、中国を牽制しました。さらに皆様ご承知のように、現在台湾は米国から最新兵器を購入する話を進めております。それは、台湾海峡の軍事バランスを維持するための措置です。これはきわめて重要なことです。

 そこで、この日米安保条約と台湾関係法を繋げて考えたなら、台湾と日本の間には、間接的と申しましょうか、表面には現れていない「防衛の鎖」が存在し、それによって両国は結ばれていると私は考えております。しかしながら、この「防衛の鎖」というものは、これを日本がどう見ているか、また米国はどうか、さらに台湾はどう考えるかによって、ある程度変わって行くと思います。この意味において、私はこれの温度を低めないように注意し、常に燃やしつづけて行かねばならないと思っております。それが私にとって大事な任務であり、さらにそれだけではなく、これを強化して行かねばならないと思っております。それが台湾の安全保障、つまり生存にとって非常に大事だと認識しております。

●文化学術交流を拡大

 仕事の第三点は、文化学術交流の充実です。外交関係というものを形式の上で見た場合、日本政府は「一つの中国」というのを承認しております。このため中華人民共和国は日本に形式的には大使館というものを開設しております。一方、台湾の場合は形式的な国交がありません。しかし台湾は、実質的に存在しております。日本人であっても米国人であっても、台湾に行くためには台湾政府にビザを申請しなければなりません。税金も、台湾政府が台湾で徴収しております。つまり、事実上そこに主権国家が存在しているということなのです。つまり日本と台湾の間には、事実上の外交が存在しているのです。この現実を踏まえて、台湾政府は日本国内に代表処を設けており、日本政府も台湾に交流協会というものを開設しております。ただ中国と台湾をくらべた場合、台湾が中国といろいろな面で競ったなら、向こうは大使館でこちらは代表処であるため、ややもすると劣勢になるかもしれません。したがって私は、必要以上には中国とぶつからないようにすることが肝要なのではないかと思っております。

 台湾と日本の間には、歴史的な深い関係があります。このためもっと深く、もっと広く、文化的な、また学術的な交流を進めて行きたいと思っております。この文化的および学術的な交流は、一見軍事的、政治的なものより弱々しく映るかもしれませんが、大男のガリバーを一本一本の糸でつないで最後には強固なものとしたように、やがては太く強い絆にして行きたいと願っております。私は日本の学界出身でもあり、これまで文化活動もいろいろとしてまいりました。この学術的、文化的なものを、むしろ私の外交の特色として行きたいと考えております。

 以上の三点が、私が日本に赴任するにあたり、真っ先に考えたことであります。また、この三点とも陳水扁総統に申し上げましたところ、非常に深く同意して下さいました。そして今、皆様のまえでそれをお話ししている次第でございます。これを私の駐日代表着任の挨拶とさせていただきます。     
  (完)

国防特別予算通過は十一月までに
潜水艦国産化計画によっては予算変動も

 中国の近年来の軍事力増強に対応し、台湾海峡の軍事力バランスを維持するため、行政院は米国からパトリオット迎撃ミサイル(PAC3)、ディーゼル潜水艦八隻、P3C哨戒機十二機などを購入する総額六千百八億元(約一兆八千億円)の特別予算案を組み、同案は近く立法院で審議される。米国はこれら兵器の台湾への売却を二〇〇一年四月に批准した。なお、行政院では米大統領選挙が行われる今年十一月までに立法院での予算案通過を果たし、正式に予算を組みたいとしている。

 これを受けて立法院は審議に先立ち、王金平・立法院長を団長とする超党派による関連兵器視察団を米国に派遣した。同視察団は六月十七日に出発し、ハワイの米太平洋軍司令部、ワシントンの国防総省、テキサス州のミサイル部隊などを訪問し、同二十八日に帰国した。

 この特別予算案による潜水艦八隻について、行政院は各省庁にまたがる国産化推進のための特別委員会を設置し、最初の二隻を米国で建造、次の二隻は三分の一について台湾が建造に参与し、その次の二隻は三分の二について参与、最後の二隻はすべて台湾でライセンス建造するという方針を定めている。

 しかし、視察団が六月二十二日に米国防総省を訪問した際、王金平団長らと会見したウルフォウィッツ国防副長官は、米国の意見として台湾が積極的に潜水艦の国産化を進める案に反対を示し、代わりに潜水艦の完全メンテナンス技術を台湾に提供するという代替案を提示した。八隻すべてを米国からの輸入に頼れば、予算の節約につながるが、国防部海軍筋は「この案は米国が高度な技術を台湾に移転することが前提となる。もし核心となる技術が外国人の手に握られるとなれば、メンテナンス技術提供の意義は大きくない」と、米国案に消極的な姿勢を示している。潜水艦国産化に関する特別委員会も「台湾に完全メンテナンス技術を提供するといっても、台湾がどこまで参与できるのか細部にわたる取り決めが必要だ。米国はその点をまだ詳しく説明していない」と、やはり消極姿勢をとっている。

 この潜水艦問題について、六月二十八日に帰国した王金平団長は同日「米国は潜水艦八隻について二種類の見積もりを提示した。すべてわが国がライセンス生産した場合と、すべて輸入にたよった場合のものだ。国産しないにしても、米国が台湾にメンテナンス能力を供与することは必要だ」と述べた。さらに「もし全艦輸入に頼った場合、節約できる予算は数百億元であり、外電が伝えるような七、八百億元も節約できるというものではない」と述べた。本来潜水艦国産化計画は、立法院が決議し行政院に要求したものである。

 これら国防特別予算案について、陳水扁総統は六月二十八日、スコッチ・マックニス米下院議員と会見したおり「わが国の国防特別予算案は米国からの圧力があったから組んだものではない。米国がわが国の強い要求を受け入れて、ディーゼル潜水艦、PAC3、P3Cなどの売却を批准してくれたのだ。ブッシュ大統領に感謝している」と表明した。

 なお、米「ワシントンポスト」紙が、視察団の滞米中に「米国はロシアにキロ級潜水艦を発注し、それを台湾に転売することを考慮している」と報じた件について、プーチン・ロシア大統領は「米国が台湾に潜水艦を転売するにしても、それはロシアとはまったく関係ないことだ」と同報道を否定し、国防部筋も「米国からそのような話は聞いたことがない」と否定した。
《台北『中国時報』6月23~29日》

李前総統が対中政策に問題点提起
今こそ「急がず忍耐強く」対処せよ

 台湾の有力なシンクタンクである群策会(会長=李登輝前総統)と台湾シンクタンク(会長=陳博志・総統府国策顧問)は六月二十七日、共同で「台湾企業の対中投資政策を検討する」シンポジウムを共催し、李登輝前総統は冒頭の基調演説で以下のように述べた。さらに参会者からも、さまざまな提言がなされた。

 政府は現在、私が八年前に提唱した「急がず、忍耐強く」の政策を必ずしも徹底しておらず、このため多くの台湾企業が警告を聴かずに中国に投資し、その弊害がいますでに現われつつある。確かに政府は、五千万ドル以上の投資案件について事前審査を義務付けるなどの措置をとっているが、投資を効果的にコントロールしているとは言いがたい。  

 私が総統に在任していたころ八年前に「急がず忍耐強く」政策を採ったのは、企業の中国への生産移転がこのまま拡大すれば、限り有る国際市場のなかで、いずれ必ず値引き競争が起こるり、また中国への経済的依存度が高まり、大きなリスクを抱えることになると予測したからだ。過度な産業移転は国内経済の空洞化を招き、失業率を増加させる。中国は経済によって政治的目的を遂げようとしており、個々の企業の政治的立場は中国に左右されざるを得なくなる。これらの弊害は現在すでに現われており、「中国を利用し台湾を発展させる」という楽観的主張は、まったく的外れだったことが証明されているのだ。

 政府がなすべき最重要項目は「自由貿易港区」の建設にほかならず、台湾企業を台湾に戻し、高付加価値のある加工業に従事させ、研究開発センターの設置を促し、企業の研究開発と産業のレベルアップを奨励することだ。政府は、今後も中国に投資しようとする企業を台湾に戻し、投資のための資金調達を助けるのではなく、台湾に根を張りレベルアップと発展を図る企業に協力しなければならない。企業もこれ以上対中投資に頼るのを止め、視野を世界へ広げるべきだ。

 中国は最近「緑色企業」「緑色芸人」を歓迎しないなどと発言したが、これは始まりに過ぎない。中国はすでに「民を以って官を圧迫する」、「商を以って政を包囲する」というこれまでの政策を、「民を圧迫して官を圧迫する」、「商を圧迫して政を包囲する」という政策に切り替えた。中国では、経済が発展しても自由民主の道へ進むことはなく、反対にその経済力を利用して国際政治を操り、各国の企業を威嚇している。台湾国民は、中国が一貫して台湾を敵とみなしているという事実を肝に銘じなければならない。中国のいわゆる緑色企業、緑色芸能人に対する圧迫は、個人に対する攻撃ではなく、台湾の民主化と自由に対する圧迫である。いくら三通を唱え、自分は政治とは関わりがないと言ったところで、誰も例外ではないのだ。

 台湾企業は、中国の覇権的体質と、常に台湾を敵視する態度を肝に銘じ、中国での成果もほどほどにしなければならない。多く儲ければそれだけ問題も多くなる。もっとも重要なことは、企業の生存と発展は、中国に生産拠点を移転してコストを下げるという使い古した方法に頼るのではなく、独自の能力を高め、知識経済を創造し、自己の道を確立することだ。これこそが中国への依存度を減らし、中国からの圧迫を恐れないための条件であり、台湾企業はこのことを念頭に入れておくべきである。

●被害受けようやく実状を認識 

 今回のフォーラムには、中国投資で被害を受けた企業も参席し、現地での実状を報告した。四川省成都で約六億元(約十八億円)を投資した林志昇氏は、「李前総統の『急がず忍耐強く』という提言を聴かなかったことを非常に後悔している」と、李前総統の前に頭を垂れ、お詫びの言葉を述べた。林氏は現地で、四校の学校を開校し、ネット上でも頻繁に取り上げられるほど話題の的となったが、収益が出始めると、当局の態度が変わってきた。ある学校を施設ごと買い取って経営していたところ、過去の債務が次々と発覚し、多額の借金を背負わされたという。また、台湾中国投資被害者協会によれば、ある企業は江西省で二十五年の経営権を取得し、託児所付きの複合パークを設立したが、開園四年目にして、現地の役所から土地を戻せと迫られ、拒否したところ強制的に施設を壊されたという。結局契約を破棄し、その後の話し合いで決まった約百九十万元(約五百七十万円)の賠償金も戻らず、投資した合計七百万元(約二千百万円)余りの資金は、すべて水泡に帰した。

●団結し中国の圧力を跳ねのけよ 

 台湾対中投資被害者協会(以下、被害者協会)の法律顧問・呉軾子弁護士は同フォーラムで、同協会は中国に投資し被害に遭った台湾企業と日米英各国が連盟で中国に抗議するウェブサイトを開設すると発表した。呉氏は「中国の銀行や公安当局によって多額の資金を吸いとられ、失敗した企業は数知れないが、台湾企業があまりに脆弱過ぎることも問題だ。国内外のマスコミは、台湾企業が中国で投資の被害に遭っている事実を直視し、正義の立場に立って報道してほしい」と訴えた。関係筋によれば、群策会は中国で不当な被害に遭っている台湾企業の実情に対し高い関心を示しており、被害企業の団結に協力する意向を示している。

●被害者は勇敢に名乗り出よ 

 また、被害者協会の高為邦理事長も「中国でトラブルがあっても、現地雇用の社員は当局の報復を恐れ、台湾企業の側に立って証言することはない。中国は法治国家でないため、当局の鶴の一声で頻繁に状況が変わる」と語った。また、「十の台湾企業のうち九社は投資に失敗している。被害に遭った企業はみなそれを隠したがるが、勇気をもって経験を公開し、対策を講じるべきだ」と述べた。 

●対中投資を煽った責任負うべき 

 元経済建設委員会主任委員の陳博志・台湾シンクタンク董事長は、いわゆる緑色企業や芸能人などへの中国からの圧迫について「自由と民主化を主張する者は、何色だろうと、遅かれ早かれみな中国に圧迫される」とコメントした。また「中国で被害に遭っている企業は、当初対中投資を煽った人々を恨むほかない。かれらは両岸の政経分離を声高に唱え、中国には無限の可能性があると叫び、今もこの誤りを認めていないばかりか、『中国を刺激する発言は控えたほうがいい』などと主張する。こうした話は信用すべきでない」と強調し、さらに「中国経済は彼らがいうほどではなく、商品の質よりも安さを優先し、環境保護の要求も低い。中国国内の所得格差はますます拡大しており、いずれ大きな問題が起こるだろう」と語った。
《台北『自由時報』6月28日》


「急がず忍耐強く」が経済を救う
 黄天麟・国策顧問 

 李前総統が六月二十七日、「『急がず忍耐強く』が徹底されていない」と発言したことを受け、黄天麟・国策顧問は「当時もし李前総統の提言がなければ、大企業の中国投資が歯止めなく進み、今頃は台湾経済全体が崩壊の危機に直面していただろう。政府は個々の企業からの要望によって中国への投資を開放してはならず、国の経済全体の利益を優先させるべきだ」と語った。 

 黄天麟氏は「当時、台湾プラスチックや統一食品といった大手企業が中国への投資を拡大しようとしていたが、『急がず忍耐強く』の提言後、中国以外への投資を増やすなどリスクを分散した。このように企業の対中国投資には制限が必要であり、そうしてこそ、経済全体のリスク管理ができるのだ」と強調した。また「最近はこの政策が久しく提起されず、今年一~五月の対外投資のうち、対中投資は八五%にまで膨らんだ。台湾企業の投資により、中国のハイテク産業は世界トップ三となったが、これは国内の同業者に直接衝撃を与えることになった」と指摘した。 

 黄氏はさらに、「台湾の投資環境自体は国際的評価も高いが、もっとも大きな問題は両岸問題という特殊な状況の影響を受け易いことである。台湾と米、日、欧、アジアなどとの間では正常で自由な国際経済競争を展開できるが、中国に関しては別だ。中国は「低コスト」で意図的に台湾企業を惹きつけ、国際社会においてさまざまな圧力を台湾にかけてくる。今後放任政策をとれば、国家経済全体の利益を損なうこととなる」と述べ、今後も李氏の提言を徹底する必要があると強調した。
《台北『自由時報』6月28日》

『見証台湾―蒋経国と私』㊦
李登輝前総統が明かす国民党台湾化への道

平常心と責任感
地位に何の欲心も嫉みもなく

 地位に対し、私は常に平常心を持っており、自分が副総統に指名されたからといって、すごく嬉しいということはなかった。政務委員(無任所大臣)に任命された時も、正直なところ、それが農業復興委員会の課長や技官よりもいいとは思えなかった。私は本来、官職を得たからといって特に喜ばしいとは思えず、ただ新たな機会を与えられたと思う以外、何の感慨も湧かなかった。最も重要なのは、地位の変更には責任がともなうということである。

私が感じたのは、責任が重くなったということだった。私がまず考えたのは、将来どうすべきか、これから何をしてどのような方向に進むべきかということだった。私の家内も同様のことを思っていたようで、彼女は常に政治というものにある種の疑念を抱いていた。だが、否定できないのは、眼前に確実に新たな機会が訪れたということであった。

 蒋経国が私を副総統に指名したとき、外部の反応はきわめてよいものだった。なぜなら、私が財界の出身ではなく、そうしたところに何の利害関係もなかったからだ。多くの人々が私に期待を寄せ、特に台湾本省籍の友人たちの期待は大きかった。しかし、すべての人が受け入れていたわけではなく、このあたりの事情は、私はあまり詳しく知らない。

歴史の舞台に上る
蒋経国の後継者として 

 蒋経国の総統在任中、私は二人目の副総統であり、一人目は謝東閔であった。二人とも台湾人であり、蒋経国はなぜ謝東閔を再任しなかったのだろうか。途中で交代して、問題は発生しないのだろうか。まして私はこれまで特に蒋経国のご機嫌をとったこともなく、積極的に彼にいかなる地位も要求したこともない。これにはやはり深いわけがありそうに思える。私は蒋経国から特殊な目で見られているという感じを受けていた。国民党は長期にわたって多くの人材を育成してきた。林洋港や邱創煥といった人たちだが、なぜかれらが指名されなかったのだろう。私が台北市長や省主席に指名された時も、別の人を推薦する人はいたが、最終的には私が指名されたのだった。 

 私は入閣する前、警備総司令部に呼ばれたことがある。それは、蒋経国が私に持っている疑念をすべて明らかにし、解消するためだった。その後、どうして蒋経国が安心して私を副総統に任命したのか。私の考えは、まず第一に、蒋経国は自分がそんなに早く死ぬとは思っていなかったのではないかということである。彼は糖尿病の持病があったが、最後には突然喀血して、死去してしまった。これは人々がまったく予想しなかったことである。第二として、蒋経国は多分にして社会主義の影響を受けていたからだと思う。一般に私は農業経済の専門家だと見なされており、蒋経国が私を選択したのは、私が彼と同じ思想を持っていると見なしたからではないか。人を選ぶのに、これは重要な要素だ。 

 蒋経国はかつて、自分は台湾人だと称し、国民党は本土化しなければならないとしていた。なぜなら、当時は本土化要求の勢いが非常に強く、彼は台湾の本土化を強めることによってのみ、国民党が生き残れると考えていたからだ。だが、いかに彼が「私も台湾人だ」と言おうとも、やはり中国人であり、彼の深層心理には中国社会や中国文化の各種要素が流れており、半権威体制による政治の操縦にも熟達しているのだ。

 こうした条件下において、彼が私を副総統に指名したという裏に、はたして私を総統の後継者にとみなしていたかどうか、これは大いに疑問の持たれるところである。彼は総統在任中に死去するなど、考えてもいなかったのではないだろうか。李登輝を副総統に指名したが、国政の処理は私に補佐させ、すべてを自分の意志によって取り仕切ろうとしていた。これは確かなことである。私が副総統在任中、彼は実際にそうしたし、またそれは細かな点にまで及び、結果として私は自然に軍事、外交なども含め、多くのことを知ることができた。このことは、私と彼の談話記録の中からも見出すことができるはずだ。

 正直なところ、蒋経国が私を副総統に指名した時点において、私が将来総統に就任できるかどうか、それはきわめて言いにくいことだったのだ。外部の人はいずれも蒋経国の健康状態はよくなかったと言っているが、私自身は彼がこうも早く死去するなど思ってもいなかったのだ。彼は何も言い残さなかったし、将来はどのようにしなければならないなどといった話も、彼と話し合ったことはないのだ。当時はまだ戒厳令が敷かれていた時代で、彼が総統に再々選されることも十分可能であり、その場合、私が副総統に再指名されたかどうか、それは不確定なことなのだ。こうした事情は一般には知られておらず、彼が死去したいま、すべては謎に包まれてしまった。彼は指導者としてこうした問題は明らかにできなかったろうし、結局は多くのことがこのように闇の中に葬られてしまったのである。今になってみれば、私は確かに蒋経国総統の副総統であったが、後継者として彼が私を選んだのかどうかは、私にはまったく分からないのである。結果として私は彼の後を継いだわけだが、これはまったく歴史の偶然というべきものであった。

『見証台湾』の発表

 この『見証台湾―蒋経国と私』という一書は、回想録でもなければ評論的な書籍でもない。私が蒋経国総統の二人目の副総統としての任にあった時期において、彼と直接交わした会話や談話の記録である。整理した百六十篇の筆記内容は、任務として彼が発した指示もあれば、彼の質問に対して私が答えたものもあり、あるいは特別な問題について私が提出した報告書も含まれている。これらの記録は、彼と会談するたびにすぐ私が筆記し、とどめておいたものである。いちいちメモにとったのは、ただ内容を忘れないようにするためといっただけのものだった。 

 蒋経国氏が死去してから、私はそれらを自分の机の引出しにしまい、折に触れては一枚一枚読み返したものである。それの外形はきわめて普通のメモ用紙ではあるが、その中に書き溜められたものは、台湾のこの十年における政局の変遷に対し、きわめてポイントとなる意義深いものものばかりである。もし蒋経国時代の後半において、彼が推進した政治改革が今日の台湾における民主化や本土化に対して先駆的な意義を持つとしたなら、私が直接彼から聞き、一つ一つメモに書き残した彼の一言一句は、いずれも台湾現代史の軌跡であり、また証言であると言えるものとなるだろう。 

 本来、私はこれらをこんなに早く整理しようとは決して思っていなかった。しかし、今日の政局の混乱、国家としてのアイデンティティーの不明確さ、あるいは多くの政策や理念が曲解され、また曖昧なものにされてしまっている現実を見れば、これらを早急に整理し、一冊の本にしなければならないとの必要に迫られたのである。

 なぜなら、メモとして記録しただけの状態であったなら、それは断片的な重点のみの記録となり、さまざまな事柄について原因結果が分からず、それらに関与した人、背景などの説明もなく、見る人にとって、はなはだ不明瞭なものとなるからだ。やはりそこには私自身が解説や注解を加えることが必要である。したがって当時の多くの資料も引用し、各出来事に対する背景的要素も補強し、分かりやすくした次第である。また私はこれを、副総統在任三年八カ月の回顧録ともした次第である

《台北『自由時報』5月13日》

ニュース  

米下院が台湾への友誼を強調
関係法成立二十五年決議案を可決

 米下院は六月二十四日、「台湾関係法」成立二十五周年を記念して提出された決議案を可決した。同決議は七項目にわたり台湾に対する友誼と支持を表明している。主なものは以下の通り。①米議会は「台湾関係法」の遵守を再度公約し、同法を米台関係の礎とする。②米議会は中国の軍隊の現代化、とくに台湾に対するミサイル配備に注目している。③米大統領は中国の台湾に対する軍事脅威を重視するよう、関係閣僚に訓示すべきである。④米大統領は台湾と中国のさらなる対話を奨励する。⑤米政府は「一つの中国」政策を以って台湾の現閣僚の米国訪問を制限すべきではない。このほか、同決議では今後も台湾人民の安全が脅かされたり、経済、社会制度が武力またはその他の手段によって強制されることに「台湾関係法」を以って対抗できるよう要求するものとなっている。陳唐山・外交部長は同日、これを評価、歓迎するコメントを発表した。
【外交部 6月25日】

EUは台湾外交の重点
WTOを基礎に交流を強化

 バチカンを訪れている陳唐山・外交部長は六月二十八日「拡大後の欧州連合(EU)は、台湾外交の重点である。その際、世界各国に事務所を持つ世界貿易機関(WTO)が格好の拠点となる」と述べた。さらに今後いかにEUと欧州議会との関係を強化するかについては「各国とも自分の国の利益を尊重するはずで、すべての国が中国との関係強化を望むとは限らない。台湾とEUは人権、民主主義など、同じ価値観を持っており、今後EUと経済から文化まで、相互往来を強化できると信じている。とくに、ハイテク方面の交流には大きな期待が持てる」と語った。

 このほか、欧州各国が中国への武器輸出を解禁する動きがあることについて、陳外交部長は改めて反対の立場を示すとともに、「中国が台湾に対し約五百基ものミサイルを配備している現状にあって、米国の強い反対と圧力により、解禁されないだろう」と強調した。
《台北『中央社』6月28日》 

立法委員選挙日程表が発表
十二月十一日投票、開票

中央選挙委員会は六月二十八日、今年十二月に行われる立法委員選挙の日程表を発表した。

▽選挙公告:9月27日
▽立候補受付け日時、選挙関連事項の公告:10月4日
▽立候補者受付け:10月8~12日
▽政党の候補者名簿の撤回または訂正、比例代表区、先住民候補者の撤回、推薦の締切:10月12日
▽候補者名簿の審査完了と抽選の通知:11月12日
▽比例代表区、先住民候補者が抽選で番号を決定:11月17日
▽有権者名簿の作成完了:11月21日
▽立候補者名簿と選挙活動の期間、場所の公告:11月30日
▽政見発表会:12月1~10日
▽有権者数の公告:12月7日
▽投票、開票:12月11日
▽当選者名簿の審査:12月17日
▽当選者名簿の公告:12月17日

【中央選挙委員会 6月28日】 

デジタル放送本格スタート
情報の地域格差を是正

 七月一日、台湾でテレビのデジタル放送が本格スタートした。記念式典に出席した游錫堃・行政院長は「社会にとって大きな出来事であり、テレビ番組のチャンネルが増えることで、さまざまなニーズに応えることができる。これは消費者の権益にも合致しており、地域間の情報格差是正にもつながる」と述べた。 

 政府は「国家発展六カ年計画」で台湾のデジタル化を推進しており、テレビのデジタル放送はその大きな柱の一つとなっている。デジタル放送の本格スタートにより、ディスプレイやデジタルコンテンツなど、関連産業の発展も期待される。游院長は「二年後には個人の携帯電話や情報端末を使い、いつでもどこでも高画質の画面で番組を観ることができるのがデジタル社会の特徴だ。将来はテレビのリモコン一つで番組に関連する情報を引き出すことができ、これにより台湾のシリコンアイランド建設が加速する」と強調した。
【行政院新聞局 7月1日】

国際文化芸術フェスティバル

●二〇〇四台南府城七夕国際芸術フェスティバル

日 時 8月13日~22日
会 場 孔子廟文化エリア、台南市立芸術センター、台南社教館ほか
http://culture.tncg.gov 

 二十一世紀の今日、歴史や文化は台南の生活の一部となっている。街の至るところにある遺跡や赤レンガの塀、老木や古井戸、そして人びとが感謝と祈りを込めて行う季節ごとの行事や祭りなど、どれもが古都・台南の悠久の歴史と文化を伝えている。 

 古都の民族的祭典の中で最も代表的なのは、毎年旧暦七月七日に若者のために行われる「成人の礼」であろう。かつては婚礼と同じように厳かに行われた「成人の礼」だが、最近ではこの祭典の伝統も失われつつつある。そこで台南市では、この祭典を全国各自治体が推進する文化芸術フェスティバルと結びつけ、「台南府城七夕国際芸術フェスティバル」として開催するようになった。昔ながらの行事が台南の人びとを団結させ、他の地域や外国からも大勢の若者が参加するようになっている。 

 寺廟で行われる伝統の祭典では、満十六歳になった若者が状元の衣装を身につけ、子供時代を守ってくださった七娘媽に感謝して七娘媽亭を通り抜け、少年時代に別れを告げる。伝統を重んじる家庭では、母方の祖母が新しい衣装や金の装飾品などを用意し、子供の「成人式」を祝う。 

 成人式は周の時代に始まり、もともと男子は二十歳、女子は十五歳の時に行っていたが、台南ではなぜ十六歳で行うようになったのだろう。また、なぜ七夕の日に七娘媽を参拝するという形で執り行うのだろうか。 

 台湾と中国大陸との交易が盛んだった清の時代、台南の安平港は重要な貨物の集散地だった。今日の長楽街の一帯は「五条港」と呼ばれて貿易商が軒を連ね、五つの苗字の港湾労働者がそれぞれ埠頭を一つずつ担当しており、多くの人手を必要としていた。港で荷物を運ぶ労働者は十六歳以上なら大人として一人前の給料をもらえたが、十六歳未満の子供は大人の半額しかもらえなかった。そのため、この地域の家庭では子供が十六歳になると大人と見なし、成人式を行ったのである。 

 その成人式に参拝する七娘媽には美しく悲しい物語がある。七娘媽というのは誰もが知っている織姫と牽牛の物語の織姫だ。織姫と牽牛は人間界で結婚して子供を生んだが、天へ連れ戻され、天の川の両側に隔てられて、年に一度しか会えなくなってしまった。織姫の六品の姉妹は牽牛が一人で子供を育てているのを金毒に思い、母鳥たちを連れていって子供を守った。そして愛する子供を思い続ける織姫は、人間界のすべての子供たちの守り神となったのである。 

 この伝統文化に新しい生命を注ぎ込もうと「七夕国際芸術フェスティバル」では十六歳の成人の礼を行うとともに、そこに現代的、国際的な要素も盛り込んでいる。昨年大好評だった太鼓の演奏会は今年も行われることになっており、日本や韓国から国際的な演奏団を招いて祭典に力強さと華やかさをもたらす。さらに千人規模の太鼓演奏や太鼓コンクールなどさまざまな芸術文化活動が行われる。この活動で台南がさらに豊かな生命力を持ち、文化が受け継がれていくことだろう。 

 フェスティバルの期間中は、台南の通りにさまざまな飾り付けがなされ、花芸の展覧会なども行われる。中国のバレンタインデーと呼ばれる七夕には台南を訪れ、伝統とロマンのカーニバルを楽しんでいただきたい。

 ●二〇〇四年鶏籠中元祭芸術文化カーニバル

日 時 七月~八月
会 場 基隆市街地、基隆市立文化センター広場など
http://www.klcc.gov.tw

 中元の祭りは道教の陰陽観から来たものだ。旧暦の七月十五日は地獄を司る地官の誕生日で、地官はその一カ月は大赦令を山車、地獄に囚われた亡者の魂を釈放する。自由になった亡者たちは旧暦七月一日からの一カ月は人間界に戻り、人びとがお供えする香や供え物を楽しみ、それによって悔い改めるという。これと同じように、仏教にも「日蓮救母」に始まる盂蘭盆会(お盆)の伝統がある。釈迦の弟子の大目犍連尊の母が餓鬼道に落ちてしまい、七月十五日供え物を供えて苦しみから逃れられるよう供養したと言われている。この二つの伝説は、台湾社会の包容力や孝道の精神と一致し、民間で非常に重視されてきた。 

 「二〇〇四年鶏籠中元祭芸術文化カーニバル」の「鶏籠」というのは、基隆の昔の地名だ。基隆で行われる中元祭は、無縁仏を供養する台湾最大の祭典で、すでに百五十年の歴史があり、近年はこの祭典が観光活動と結びついて広く知られるようになった。

 鶏籠中元祭は、鬼門を開く儀式から始まり、地元の各宗族が交代で主催し、台湾で最も壮観な闘灯など独特の行事が行われるほか、旧暦七月十四日の夜にはクライマックスとして灯篭流しが行われる。その夜は、美しい山車や祭りの行列が数キロにわたって延々と続く。このパレードでは地元の各宗族が工夫を凝らし、それぞれの一族の伝説や事跡を表現するなど、遊びと競争の意味を持っている。

 鶏籠のこうした伝統は、清の咸豊年間に発生した漳洲出身者と泉州出身者の闘いに由来している。かつて開墾が始まったばかりの基隆では、大陸福建省の漳洲と泉州のそれぞれからこの一帯に移住してきた人びとの間で水源をめぐる争いが絶えず、その出身地意識の強さから、しばしば激しい衝突が起きていた。咸豊年間には大規模な戦いがあり、双方に多数の死傷者が出た。そこでこのような衝突を避け、協力して鶏籠を建設するために話し合いが重ねられ、旧暦七月十五日の中元普渡を十一の姓の宗族が持ち回りで主催することにしたのである。その年の行事を主催する一族は「主普」と呼ばれ、その他は「賛普」と呼ばれる。こうした経緯から、鶏籠中元祭は神や死者への敬意を表すだけでなく、出身地を異にする人びと同士の融合や地域の団結といった深い意味も込められているのである。

 鶏籠中元祭は、華人社会の慈悲と博愛の精神が表れたものであり、宗教や家族の血縁を大切にする行事でもある。「十二大地方祭典活動」のテーマに選ばれたこともあるこの豊かな民間の祭りを、ぜひ見に行っていただきたい。
【行政院文化建設委員会】

台湾観光年
爽快! ラフティング

 毎年五月から十月にかけて、花東地区では秀姑巒渓のラフティングが人気だ。とくに五~六月に開催される国際級のラフティング大会(今年は六月五日に開催)では、世界各国からおよそ二百艘ものゴムボートが参加し、激流を乗り越え一斉にゴール地点を目指すさまは盛観の一言に尽きる。 

 台湾でラフティングが始まったのは今から二十年前。リバースポーツに最適な条件を備えた花蓮県秀姑巒渓が発祥の地となった。その後、ブームになってからは他の河川でも見かけるようになり、いまでは夏になるとスリリングな川くだりを体験しようと、大勢の観光客が押し寄せる。 

 台湾にはもともとラフティングに適した河川が多かったが、台風による災害や川筋の変化が原因で、一般への提供を取りやめるところも出てきた。しかし、東部海岸国家風景区にある秀姑巒渓は安定した水量と大自然が魅力となって、名実ともに台湾ラフティングのメッカとなっている。秀姑巒渓では、水量が少ない冬と早春、増水する台風シーズン以外なら、いつでもラフティングを楽しめるが、シーズンはやはり五月から十月までだ。 

 台湾にラフティングが紹介された当初は楽しむ人も少なかったが、徐々に商業ベースに乗るようになり、安全性の観点から秀姑巒渓の危険な岩石が取り除かれ、現在では一般の観光客でも安全に楽しめる環境になっている。ちなみに、どの業者を利用しても救助員が同行するため安心だ。 

 ●スリリングなコース 

 秀姑巒渓は花蓮県卓渓郷にある中央山脈の標高三千二百メートルに源を発し、花東縦谷に沿って北に向かい、瑞穂郷瑞美村で方向を東に変え、海岸山脈を横断して大港口から海に注ぐ。長さ百四キロ、総面積千七百平方キロ、台湾東部最大の河川である。下流は瑞穂から大港口までの約二十五キロで、この一帯は美しい景観に恵まれ、四季を通じて水量が豊富だ。流れは海岸山脈を切り取り、峡谷と曲線に富む急流を作り出し、激流の難所が二十三カ所もあるスリル満点のコースとなっている。

 秀姑巒渓ラフティングコースは奇美を中間地点に、前半のコースは流れが穏やかで、後半は急となり、ところどころで渦も見られる。後半はその流れに乗っていけばオールをこぐ必要はないが、転覆しやすいため舵取りには注意が必要だ。川下りといえば、一般に東部海岸風景区管理処がある瑞穂ラフティングセンターから長虹橋までとなっており、瑞穂大橋から途中の奇美までは、七カ所の難所がある。

 スタート地点の瑞穂大橋からしばらくの間、両岸は広々とした砂地が続く。最初の激流を過ぎて曲がると、右側に謝武徳台地が見えてくる。この一帯は、隆起した段丘や砂石の川岸、きれいな水と条件が揃っており、理想的なキャンプ場となっている。スタートして約二時間後、奇美吊橋を過ぎると七番目の難所が待っている。この難所を過ぎると奇美レストハウスに到着。レストハウスの広い砂地で腹ごしらえをし、一休みしたところで再び出発する。

 奇美からは今までとは違う渓谷美が楽しめる。両側は岩肌が聳え立ち、川幅も広く、深さも増してくる。渦や難所が次々と出現し、ここからがラフティングならではの醍醐味と言える。長虹橋に近づくと、周囲に奇岩怪石が広がる。巨岩が長い歳月、急流に洗われて生まれた大自然の芸術品の数々。長虹橋を過ぎると渓谷が一気に広がり、真っ白な石が次々と水面に姿を現す、その景色は格別だ。この一帯が、かの有名な「秀姑漱玉」だ。さらに進むと、河口の中央に火山岩でできた小島「渓卜蘭島」、またの名を「獅球嶼」が見えてくる。三、四時間にわたるスリルあふれる川下りのゴールに到着だ。

●瑞穂ラフティングセンター 

 瑞穂ラフティングセンターは瑞穂大橋そばにあり、台湾先住民の伝統建築を感じさせる建物が特徴。ラフティングの際の注意事項をビデオで放映しているほか、秀姑巒渓の大自然や魅力なども紹介、ぜひ足を運んでみよう。

住所:花蓮県瑞穂郷中山路3段215号

《『台湾観光月刊』六月号より転載》

新しくなった磯崎海湾

 東部海岸で最も美しい海岸といえば、花蓮県豊浜郷磯崎海湾。六月六日から「加魯湾リゾート村」として正式に運営を開始した。カヤックやサーフィン、ゴムボート、スノーケリングで遊び、翌朝は日の出を仰ぐ。磯崎海水浴場近くにはパラグライダー発着場があるので、青空を飛翔して美しい東部海岸と雄大な太平洋を眺望することもできる。将来はホエール・ウォッチングとラフティングを結びつけたアドベンチャープランを推進する予定だ。

《『台湾観光月刊』六月号より抜粋》

歌仔戲の表現で現代劇に挑む
陳美雲劇団新作『河邊春夢』

 歌仔戲(コアヒ)界の名男役・陳美雲が主宰する陳美雲歌劇団の新作「河邊春夢」が、六月二十九~三十日、台北市伝統戯劇節の招きに応じ、台北市中山堂で公開された。

 「河邊春夢」は二つの時代を舞台に語られるラブストーリーだ。清朝末期、伝統音楽を演奏する曲館の芸奴金釵は、名家の子息許三郎と恋に落ち情死した。その後亡霊となり、当時住んでいた洋館で恋人を待ち続ける。舞台は四十年代に移り、流しの歌手美娟が登場する。美娟は妻の有る男性を愛するが、件の洋館に移り住んだ後、金釵の亡霊に誘われ、彼女もまた一途な愛の世界に翻弄されていく。

 団長の陳美雲氏は、「若い客層にも歌仔戲を楽しんでもらうため、今回の新作「河邊春夢」では新しい演出方法を取り入れ、題材も実際の社会事件をもとにした」と語る。陳氏自身、流しで歌っていた経験もあり、自らの経験を反映したという。

 配役には、陳春雲氏が曲館のおかみを演じるほか、ヒーロー役にベテランの陳昭香、ヒロインには新鋭李佩涵が扮している。歌仔戲の古典を中心に演じてきた陳昭香は、「新しい演出方法はプレッシャーで、演技のことを考えると眠れない日が続いた」と語る。このほか、音響界の大御所劉明勲も参加しており、全幕通して豊かな音響技術と際だった演出で、新しい歌仔戲に挑戦している。

 陳美雲歌劇団は一九八九年、陳美雲団長をはじめとする二十名余の団員により結成され、一九九七年には行政院文化建設委員会の「国際的演芸育成計画」に該当する団体に認定され、本土文化特有の風格を備えた。

 殺陣の入った武侠劇から伝統的歴史劇まで、年間平均三百日以上の公演を打ち、さまざまな演劇ファンの需要に応えて人気を博している。

《台北『自由時報』5月29日ほか》

文化・芸能情報

若者よ、旅に出よう!

 台湾を代表するコンテンポラリーダンスカンパニー「雲門舞集」の主宰者・林懐民氏が、台湾の若いアーティストを応援する「流浪者プロジェクト」を立ち上げた。

 「二十五歳のとき一人リュックを背負い、欧米を旅して訪れたルーブル美術館やギリシャ神殿は、今でも忘れられない。後に出かけたインドでは、ガンジス川のほとりで人の生き死にを間近に見て大きな衝撃を受けた。こうした体験は、私のその後の人生と創作活動に大きな影響を与えた」と語る林氏は、若者に「異なる時空で物を見ること」の大切さを強調する。   

 「流浪者プロジェクト」は、まさにそうした信念のもと、若いアーティストに放浪の旅を奨励するものだ。具体的には、アジアを六十日間旅するための費用(航空チケット代、ビザ申請費、傷害保険費、事故医療費などを含む)として、一人あたり十万元(約三十万円)~十五万元(約四十五万円)を提供する。参加資格は中華民国の国籍を持ち、表現芸術や視覚芸術、文学、映画、流行音楽の創作、デザイン、演出、制作に携る三十歳以下の若者が対象となる。なお、参加者は帰国後、報告会で旅の成果を発表する。

 プロジェクトの資金は、林氏が昨年受賞した行政院文化奨の賞金と、各界からの寄付金でまかなわれる。「確かにパリやニューヨークの美しさ、新しさは人びとを魅了するが、アジアには街の至るところに生命の息づかいが感じられ、物事の深さを教えてくれる。貧乏旅行はこれまでと違う人びとや事物に接する機会となり、視野を広げてくれるだろう。決して風景をカメラに収めただけで帰って来てほしくない」と林氏。プロジェクトの申込み締切は七月三十一日まで。

●雲門舞集ホームページ http://www.cloudgate.org.tw

《台北『民生報』6月18日》


文化ニュース

中央社が写真集を出版
戦後六十年の歴史を回顧

 中央通信社(以下、中央社)は今年創立八十周年を記念して、写真集『走過台湾一甲子(台湾六十年の歩み)』を出版した。戦後の一九四五年から今年二〇〇四年までの六十年間、中央社のカメラマンが撮影した写真およそ三百枚を収めたもので、「人民、郷土、思い」をテーマに編集されている。

 「われわれは普段政治家の写真はよく目にするが、この写真集は台湾の一般の人びとを主体にしている。これらの写真の一コマひとコマに人びとの生活が息づいている」と、胡元輝・中央社社長は述べている。胡社長はまた、これを機に台湾に関する写真を一堂に集め、外部に提供するためのプラットフォーム「好望角(cnavists.com)」の設立を宣言した。具体的には「中央社だけでなく大手メディア、学術機関、さらに個人のカメラマンにも参加を呼びかけ、各々が所有する台湾に関する写真の一大データベースを作り、世界が台湾の写真を探すときの最初の窓口となるように発展させたい」という。

 中央社は写真集の出版以外に記念切手も発売した。永遠の象として人々の心に生き続ける林旺、阿里山の神木と鉄道、牛車が活躍した往時の農村風景、民家と人びとの暮らし、紅葉少年野球チームなど、十枚の写真からなっている。
《台北『民生報』6月29日》


藁発電二年後に稼動へ
環境に優しくコストゼロ

 稲を脱穀したあとの藁(わら)はせいぜい堆肥や鶏の餌などに利用されるぐらいで、厄介物扱いされかねない代物だが、実はこれ、りっぱな電力源として活用できるという。経済部エネルギー委員会はこのほど民間のリサイクルエネルギー会社に対し、藁を使った発電計画を認可した。これにより、二年後には台湾で初めて藁発電が稼動する見通しとなった。 

 現在台湾では藁の多くが野外で焼却されるか、もしくは廃棄されており、環境にも影響を及ぼしている。藁発電は藁が酸化する際に放出する熱を利用するもので、酸化したあとの藁灰も再活用できるためメリットが大きい。 

 計画によると、国内で稲作が最も盛んな雲林県に発電所を建設し、藁などの農業廃棄物六万トンを使い、年間三千万kwの電気をつくる予定だ。こうしてできた電気は、台湾電力が一kwにつき二元(約六円)で買い上げることが保障されており、これによりリサイクルエネルギー会社は毎年六千万元(約一億八千万円)の収入が保証される仕組みだ。また発電に利用された後の藁灰にはリンやマグネシウムなどが含まれており、これらの成分は田畑の土を活性化させる堆肥として有用なだけでなく、保温材や炭団の原料にもなる優れモノだ。 

 エネルギー委員会では、今後こうしたリサイクルエネルギーを積極的に推進し、その割合を国内の発電量全体の一二%まで引き上げたいとしている。
《台北『民生報』6月18日》

国際ギターフェスティバルで金
台中市の生徒ら三名が好成績

 日本ジュニア・ギター教育協会が主催する国際ジュニア・ギター・フェスティバルが、さきごろ日本で開催され、台中市から参加した三名が、金一個、銀二個の好成績を収めて帰国した。フェスティバル決勝では、幼児、小学校低・高学年、中学校、高校と各部門に日本各地から勝ち上がった選手がメダルを競った。 

台湾は海外からの唯一の参加者で、録音テープで二度の予選を通過しての決勝進出となった。三人のうち台中市新民高校の趙伯豪君は高校生部門で金メダルを獲得したほか、各部門総合での最優秀賞に選ばれ、また文心小学校の余沅崚君、永安小学校の呉冠貞さんがそれぞれ小学生低学年、高学年部門で銀賞に輝いた。台中市からの同フェスティバルでの入賞は今年で九年連続となり、コーチの洪再添さんによれば、三人には決勝前に街頭での演奏を課し、舞台度胸をつけさせたという。
《台北『青年日報』6月21日》


台湾老舗デザート店が海外進出
「鴉片粉圓」がチェーン店募集

 台湾で六十カ所の加盟店をもつデザートチェーン「鴉片粉圓」が、海外進出を図り、加盟店を募集している。「鴉片粉圓」は一九七三年創業、「食べたら癖になる」というのがネーミングの由来で、添加物や防腐剤を使わない天然素材のタピオカを使ったデザートが観光客にも人気だ。 

 創始者の王心孝さんは、弁護士に依頼して米国、日本、シンガポールなど三十カ国ですでに国際商標を登録しており、海外進出に向けてスタンバイしている。
《台北『中国時報』6月27日》

お知らせ

交流協会・日華資料センター
「台湾映画研究会」

●テーマ:映画『バナナ・パラダイス』と台湾の外省人
●上映作品:『香蕉天堂(バナナ・パラダイス)』
王童監督、一九八九年、一四五分
中国語・英語字幕、ビデオ
●解説:戸張東夫
映画を手掛かりに台湾の外省人問題や、今なお台湾の政治や社会に大きな影を落としている省籍矛盾についても考える。

※参加無料
日 時 7月24日(土)午後5時~
会 場 日華資料センター
(東京都港区三田五―一八―一二)
問合せ 日華資料センター
(TEL03―3444―8724)
○      ○     ○

この研究会は、財団法人交流協会の経費助成プロジェクト「台湾映画と日本」の研究活動の一環として、日華資料センターと共催で開くものです。

春 夏 秋 冬 

 最近、台湾の新聞を見ていて「オッ」と思う記事があった。よく見ると、記事ではなく広告だった。カラーページで1頁全面を費やしている。大見出しに「石川北陸密境」「能登風雲」とあり、黒部渓谷や上高地、合掌造りの白川郷などの写真が背景を飾っている。つまり観光宣伝広告なのだ。こうした大型広告からも業者の意気込みが伝わってくる。飛行機も6月末から8月末までの夏休み期間中、台北と石川県能登空港との間に週二回の定期チャーター便が飛ぶ。当然、石川県も行政的に全面バックアップしている。それはまた、単に地方の活性化ばかりでなく、日本政府の打ち出した国策でもあるのだ。 

 小泉首相が日本の「観光立国」を宣言し、政府を挙げて振興策に取り組むとしたのは昨年初頭のことだった。昨年はSARSの影響で、日本を含めアジアの観光産業は大打撃を被ったが、ある日本の国内統計によれば、2002年の旅行の生産波及効果はGDPの5.4%を占め、雇用効果は総雇用の6.0%に達したという。これは大きい。観光促進を経済成長への起爆剤の一つに据えた小泉首相の政策は絶対正しい。

 台湾の新聞で能登の大型広告を見て「オッ」と思ったのは、地方が観光立国の国策に率先して力を入れているのを感じ取ったからだ。地方の活性化は、国全体の活性化の基礎である。日本政府は「観光立国」を国策に掲げているのなら、地方のこうした動きを側面支援すべきではないのか。本コラムでも折に触れては指摘し、お願いしていることだが、台湾は日本からの訪問者に30日間のビザ免除を認めている。だが日本は台湾に対し、72時間のトランジットビザ免除しか認めていない。相互主義の観点から見れば、実に大きなアンバランスと言うほかはない。

 日本にとって台湾は有力な観光客誘致の対象であるはずだ。もちろん台湾にとっても、日本は絶対的に大きな観光客誘致の対象である。各航空会社にとっても、日台間はドル箱路線の一つであるはずだ。日本がビザ関連において相互主義を順守すれば、台湾からの観光客は確実に増えるはずだ。もちろんそれは日本政府の国策にも合致することになる。この措置に、日本は誰に遠慮する必要があろう。もしそこに圧力をかける国があるとすれば、それは日本経済の活性化を妨害していることになる。日本と台湾が誰はばかることなく交流を進められるようになるのはいつの日のことか。それはひとえに日本政府の決断にかかっているのだ。 
     (K)